LECTURE 8

第8回 作品分析「ワンダと巨像」

ワンダと巨像

パブリッシャー&ディベロッパー:ソニーコンピュータエンターテインメント
ジャンル:アクション・アドベンチャー
リリース:2005年/2011年(HD版)
プラットフォーム:Playstation 2/Playstation 3(HD版)

クリエイターとプレイヤーは「世界」を通して語り合う

現実社会もゲームもさまざまなルール(記号)の組み合わせで構成されています。そして、その複雑な仕組みを効率的に読み解き、最適解を示し続けることが、社会生活を円滑に進めると共に、ゲームをうまく進めていく秘訣です。

社会を構成するルールには▽法律のように人間が作成し、必要に応じて短期間で変えられるもの▽人間関係のように、年齢や状況に応じて変化するもの▽文化や言語のように自然に発生し、長い年月をかけて変わっていくもの--などがあります。いずれにせよ、人はさまざまな集団や社会関係に帰属し、成長の過程で肯定的な振る舞いがとれるように、学習を重ねていくことになります。

これに対してゲームでは、最適解を示す行為を、しばしば「攻略」と呼んでいます。ゲームクリエイターは複雑なルールをくみ上げ、幾重にも記号を散りばめて、プレイヤーに提供します。一方でプレイヤーは試行錯誤を繰り返しながら、その意味を一つひとつ解きほぐし、最適解を示す挑戦を続けていきます。プレイヤーにとってゲームとは、世界の隅々まで探索し、理解すべき小宇宙にほかなりません。

これはゲームクリエイターとプレイヤーが敵対関係にある、という意味ではありません。実際は逆です。ゲームクリエイターはプレイヤーに対して、一見すると手強そうだが、最適解が必ず存在し、そこに致るまでの道のりが綿密に計算し尽くされた、「解き明かされるべき」世界を提供します。つまり「ゲームを楽しむ」という行為は、ゲームクリエイターとプレイヤーの、ある種の共同作業だといえます。そして、その中間に位置するのが「世界」なのです。

プレイヤーは探索の果てに「世界のあり方」を完全に理解すると、彼らはその世界から離れて、別の世界へと移っていくことになります。すなわちゲームをクリアしたことになるのです。そしてゲームクリエイターは、そのことをこの上ない喜びと感じるのです。

ゲームプレイの基本となる三要素

「ワンダと巨像」は、この世界とプレイヤーの関係性を、わかりやすく提示してくれるゲームです。ソニー・コンピュータエンタテインメントから2005年、PS2用に発売されたアクションアドベンチャーで、プレイヤーは主人公であるワンダを操作し、世界に点在する「巨像」と呼ばれる巨大な敵と戦っていきます。巨像は全部で16体あり、すべてを倒すとゲームクリアです。

ゲーム内世界におけるワンダの目的は、すべての巨像を倒して、モノと呼ばれる少女の魂を現世に呼び戻すことです。巨像は遺跡などのダンジョンの深層部で待ち構えています。巨像に遭遇するとバトル開始です。巨像は圧倒的な強さを誇りますが、体表に必ず弱点が存在し、そこまでのルート(体をよじ登るなどして移動)も設定されています。これらを試行錯誤しながら「発見」していくことが、プレイヤーに提示されたミッションになるのです。

ゲームは主に次のような手順で進行します。

1:広大なフィールドを移動しながら、巨像の居場所を探し出す
2:遺跡などのダンジョンをクリアして、巨像を発見する
3:巨像に登る方法を探し出し、弱点を発見して倒す

「ワンダと巨像」の本質はパズルゲーム

本作ではプレイヤーがゲーム内世界を理解するための情報が限定されており、特徴の一つにあげられます。

ストーリー提示は必要最小限に抑えられていて、その多くがプレイヤーの想像にゆだねられています。画面上に表示されるパラメータは腕力と体力のみで、二つのメーターで視覚的に表示されるだけで、具体的な数値はあきらかにされません。プレイヤーを誘導する手法(エフェクトやアイコンによる操作の誘導など)も、きわめて抑えられています。武器やアイテムを入手したり。経験値を蓄積してレベルアップするなどの要素も原則として存在せず、プレイヤーは自分の直感や判断力で巨像との戦いに挑まなければなりません。

一方でゲーム内世界には▽神殿で眠る美少女▽人型の黒い影▽プレイヤーを圧倒する巨大な偶像の数々▽ワンダの相棒で唯一の友人ともいえる愛馬▽ファンタジー世界を彷彿とさせるワンダの衣装--など言語で説明しなくても、プレイヤーが直感的に理解できる記号が多く用いられています。ワンダが発する言語も架空のものですが、聞き手に英語圏を連想させるもので、濁点が多く使用されており、世界の重厚さを表現するのに貢献しています。

サウンドについても同じように、▽フィールド上の風切り音▽遺跡発見時の印象的なBGM▽バトルシーンでの圧倒的なBGM▽ワンダが巨像にとりつくと流れる、反撃を感じさせるようなBGM--など、さまざまな記号が散りばめられています。もっとも、こうした記号的なサウンドの使用法は、多くのゲームで普遍的に見られるものです。しかし、本作ではプレイヤーに提示される情報量、たとえば村人との会話や、アイテムの説明などが乏しいだけに、より重要な役割を担っています。

バトルにおいても▽巨像の体表には体毛で覆われている箇所があり、ワンダはこの場所にぶらさがって、よじのぼることができる▽巨像の要所に足場などが設置されている▽ワンダが所持する刀の光で、巨像の場所や弱点が指し示される--など、さまざまな手がかりが用意されているのは、言うまでもありません。

そのためゲームを進める中で、プレイヤーは何度も「非作用空間」が「作用空間」に変化する驚きを体験することになるでしょう。一見すると切り立った崖、超えられない溝、巨大な敵でも、乗り越えるための手段が見つかれば、それは「道」となるのです。ここに気づくか否かが、本作が楽しめるか否かの分かれ道となります。

いわば本作は壮大なパズルゲームだといえます。「テトリス」のような反射神経を競うパズルではなく、頭をひねって正解を導き出す知的なパズルです。これらを一つずつ発見し、解き明かしていくことが、ゲームのおもしろさの源泉になっているのです。

視覚面と記号性のギャップがもたらすもの

一方で本作を遊び始めるとすぐに、世界に対してさまざまな行為がとれるように見えながら、きわめて限定的な反応しか返ってこないことが、明らかになります。すなわち、視覚面と記号性のギャップが激しい作品だと言えます。グラフィックがリアルなだけに、別の記号性が生じがちなゲームだといってもいいでしょう。そのためパズルを解くには、世界を構成する記号を正しく理解し、その法則に自らをゆだねようとする、能動的な姿勢が必要になります。

またパズルゲームには「パズルが解けなかった」時の救済手段が求められます。しかし、本作ではそのための救済手段が、ほとんどありません。そのため何度も無駄な行為を続けた結果、世界との関係性を自ら遮断する(あきらめて止めてしまう)、または迂回する(攻略サイトを見る)などの選択をくだすプレイヤーも少なくないでしょう。

たとえば最初の巨像とのバトルでは、巨像の左足のすねにある体毛に、ワンダがつかまれることを気づくか否かが攻略のポイントとなります。たしかに、ゲーム中でワンダが足に近づくと、説明のためのダイアログが表示されます。しかし一部のプレイヤーには、右足にのみ注目する傾向が見られます。彼らは何度も右足を攻撃し、右のすねをつかもうとして、失敗することになります。

なぜ彼らは右足に注目したのでしょうか。理由の一つに巨像が右手に大きな槌を持っており、右足を傷つけるとバランスを崩しやすいように見えることがあげられるでしょう。最初の巨人とのバトルは、ゲーム全体のチュートリアル的な要素も含んでいます。そのため、両足または右足のすねが体毛に覆われていれば、よりプレイヤーに対して効率的に情報を提供できたでしょう。

パズルを解いた先には何がある?

もっとも、最初は何度も巨像から落下していたプレイヤーも、ゲームに慣れるにつれて、自由自在に巨像の体表を移動できるようになっていきます。一見すると広大なフィールドも、次第に相互の位置関係を完全に把握し、自由自在に移動できるようになるのです。これは世界の法則を発見し、その中で自然に活動する術を会得したことに他なりません。 パズルの最後のピースにあたる要素が、16体の巨像を倒すと何が起きるのか、ということです。その時プレイヤーは、主人公ワンダと世界との関係を完全に理解することができます。いわば「最適解」を示しきった、といえるのです。 ただし本作では明確な回答は提示されず、プレイヤーの想像にゆだねられています。また、その回答の「価値」についても評価はさまざまでしょう。「パズルゲームでパズルの答えが明確にされない」というのはルール違反ともいえますが、それこそが人生なのだと言えるかもしれません。少なくとも、本作を長く人々の記憶に留めさせた要因であることは間違いないでしょう。

【課題】「ワンダと巨像」を身体、視点、世界、触覚という視点で自分なりに分析してみよう